患者さんの「お心づけ」というギフトから考えること

こんにちは、だいじろうです。

前回はギフトエコノミーという考え方について書きましたが、今回はそれが仕事のなかでも存在していたということについて書いていきたいと思います。
だいじろう 2021.03.24
誰でも

「お心づけ」というギフト

以前、患者さんからの「お心づけ」ということについて、こんなコラムを書きました。

サービス業においては、やってもらった分に対しての対価を支払ったり、いただいた分のサービスを提供するということが一般的かと思います。

ですが、医療においては、同じ質や量のサービスを提供しても支払う額(自己負担額)が異なったり、提供するサービスの質や量に関わらず支払う額が一定となるといった側面もあります。

たとえば50歳の方と80歳の方で同じ医療サービスを受けたとしても、50歳の方は3割負担なのに80歳の方は1割負担だったりします。

そして、同じ処置で同じ支払い額だったとしてもとても丁寧にやらないといけないケースもあれば、経過観察程度でやるケース(雑という意味ではありません)もあります。

そうなったとき、患者さんのなかには「これだけしか支払っていないのに、こんなにしてもらうのは申し訳ない」という思いが芽生え、「お心づけを渡す」という行為につながってしまうのではないかと思います。

もちろん事前に社会保険や国民保険などで保険料を支払ってこられているので、然るべき恩恵を受けられているのですが、その意識が持ちづらいんだと思います。

現在、医療においては基本的に「お心づけ」はお断りさせていただくことになっています。

ですが、前回ご紹介した「世界は贈与でできている」のなかでの捉え方で言えば、その「お心づけ」を断る行為はその患者さんを「贈与の呪縛」に縛ってしまうことにつながるのかもしれません。

もちろん「お心づけ」自体を肯定するわけではないのですが、なにかしらの形で贈与できる余白を設けておくことも必要なのかなと考えます。

そして、これと近しいことが医療者にとっても起こっていると考えます。

医療者における贈与の呪縛

医療者においてもこの「贈与の呪縛」と近しいことが起こっているのかなと感じてます。

医療においてはそのサービスの良し悪しを患者さん側が判断できるということが極端に少ないように感じます。

たとえば吉野家とかマクドナルドといったファストフード店であれば、提供された商品の味がおかしいとか、提供されるまでの時間が遅いとかに対して、だれもが同じように判断するかと思います。

ですが、医療においてはそのサービスが良かったのか悪かったのかの判断が患者さんには出来ないケースが多いんですよね。

これはぼくの実体験でもあるのですが、自分の知識不足や技術の未熟さによって医学的に良い経過をたどることができなかった患者さんがいたとしても、その患者さんはその経過が良いものだと信じられていて「ありがとう」と感謝の言葉を言ってくださるんですよね。

十分なサービスを提供できていないにも関わらず、「ありがとう」という十分な報酬を与えられてしまう状況になっているんです。

ぼくはこの状況が非常に心苦しく感じていました。

「ありがとう」と言われるほどのことをやっていないのに。

他の先生だったらもっと良くなっていたのに。

そういった思いになって、自分を責めるようになっていきました。

そういう思いを二度としたくないと出来る限りの時間を研鑽に費やすようになりました。

そして、より良いものをより確実に提供できるようにと研鑽を積めば積むほど、ぼくたちが貢献できることの少なさに気づいていきました。

ちょっと表現が難しいのですが、とくにリハビリテーション職はきちんと学べば学ぶほど「患者さんを良くしている」という感覚ではなく「患者さんが良くなるレールから外れないようにしてる」という感覚になってきます。

「患者さんが良くなる」のであって「リハ職が良くする」わけではないんです。

ただ「悪くならないようにしている」だけ。

そうなると相変わらず「ありがとう」はいただくのに、ぼくたちから貢献できると実感できるものが少なくなっていくんです。

その結果、医療職は「こうあるべき」「こうしなければいけない」という強迫観念のようなものも生まれていったりします。

これは難しいところなんですが、個人的には適切なサービス提供ができなかったときに、良い意味で責任がとれるようにしてもらうことも大切なのかなと考えてます。

そうすることで、医療者が自分で自分を責めることなく、健全な心のあり方で患者さんと向き合っていけるのではないでしょうか?

現場からは以上でーす

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