これからぼくたちは何を求めていくんだろう?

こんにちは、だいじろうです。今回は最近読んでいる書籍で感じたことについて書いていきたいと思います。
だいじろう 2021.03.19
誰でも

量も質も満たされたなかでの需要

今、「欲望の資本主義」というちょっと小難しい書籍を読んでます。

そのなかで、現在の経済の課題として”総需要の不足”があるとされています。

これまで”量の経済”から”質の経済”を経て、少なくとも日本においては量も質も満たされている状態になっているかと思います。

たとえばテレビとかが代表例だと思いますが、10年くらい前からどんどん画質や音質が良くなっていって、もはやどんな機種であっても、普通のテレビ番組を観るということにおいてはどのテレビでも大差なくなってきてますよね。

「テレビ番組を楽しむ」という点で考えると、テレビはだいぶ前から進歩していないとも言えます。

さらにスマホやタブレットでも「テレビ番組を楽しむ」ことができるようになっているので、「テレビ番組を楽しむ」という機能しかないテレビは求められなくなってしまいますよね。

ですが、相変わらずテレビは製造・販売されていて、どんどん質は上がってきています。

テレビに関して言えば、質の向上はもう求められていないかもしれませんね。

そういった背景もあって、最近では壁に掛けられたり、収納できたりといったテレビ本来の機能以外のところで差別化されてきている印象があります。

日本ではテレビ以外にもいろんな物が量も質も満たされている時代になっています。

そんな時代のなかでぼくたちは何を求めていくようになるんでしょうか?

これから大切なのは”ちょうど良さ”なんじゃないのかな

じゃあ、量も質も満たされたなかでぼくたちが何を求めていくのかというと、”ちょうど良さ”なんじゃないかなと思います。

カーシェアリングなどがそれに当たるかと思います。

家庭用の車だと1日のなかで5%くらいの時間しか乗られていないとも言われています。

95%の時間は停まっているということです。

その95%の時間のために数千円〜1万円の駐車場代を払ったりしているんですよね。

これまではそれが当たり前だったんですが、カーシェアリングというサービスが生まれてからは自分の必要なときだけ車を利用するという”ちょうど良さ”を求める人も出てきています。

他にもスマホの料金体系とかも”ちょうど良さ”を売り出してきてますよね。

以前は「パケ放題」という感じでたくさん使う人もたくさん使わない人も使い放題のサービスを使っていたのが、最近ではその人の使い方に合わせたサービスを選択できるようになってきています。

ちょっと未来の話になりますが、自動運転が普及して移動や距離といった概念が変わっていったとき、街づくりも大きく変わっていくんじゃないなかなんて思ってます。

その地域ごとの特徴や魅力のある街になっていって、ぼくたちはその時々の”ちょうど良さ”を求めて移住するみたいな。

ちょっと突拍子もない考えになりますけど、もしそういう世の中になるのであれば、”ココに住んでいれば痩せる”というような街があってもおもしろいんじゃないでしょうか?

家から学校や職場に行くまでに段差や坂道ばかりだったり、飛んだり、しゃがんだり、走ったり、四つ這いしたりしないといけないような”アスレチックの街”とか。

他にも”キャンプ場の街”とか”多国籍の街”とか”シェアハウスの街”とか。

この辺はまだまだ先の話でしょうけど、個人的にはこれからは”ちょうど良さ”が求められていくのかなと思っているので、そのためのコンテンツを考えていきたいなと思います。

現場からは以上でーす

無料で「人がつながるやさしい社会へ」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
小さなコミュニティのなかでの価値基準
誰でも
”生きづらさ”について考えてみた
誰でも
ギフトのあり方が変わってきている
誰でも
患者さんの「お心づけ」というギフトから考えること
誰でも
ギフトエコノミーという考え方
誰でも
ぼくが提供していたのは医療ではなかった
誰でも
普通の理学療法士が社会づくりに挑戦する物語