小さなコミュニティのなかでの価値基準

こんにちは、だいじろうです。前回は”生きづらさ”というテーマで書かせていただきましたが、それを解消するためには社会の価値基準ではなくコミュニティのなかでの価値基準をもっていくことが大切かと思います。今回はそのコミュニティのなかでの価値基準をテーマに書いていきたいと思います。
だいじろう 2021.03.31
誰でも

価値基準の変化

今のぼくたちは

どうしても社会の価値基準のなかで

行動しがち

それは

情報社会の影響じゃないでしょうか?

スポーツで言えば

今は世界のトップ選手たちのプレイを

見ることが当たり前のようにできます

そうなったことで

日本のあまり名前の知られていない選手たちは

たとえプロであったとしても

以前ほどの評価は得られなくなったのではないでしょうか?

Jリーグが開幕した当初は

Jリーグのチームの選手たちのことを

かなり細かく報じられていましたが

最近は一部のスター選手に関すること以外は

試合の結果くらいしか報じられません

もちろんサッカー好きな方は

変わりなく選手たちのことを評価しているのでしょうけど

そうでない方々にとっては

”プロサッカー選手”という肩書きが

以前ほどの価値がなくなっているのかもしれません

これはいろんなことに当てはまっていて

相手に対して自分が提供しているものが

相手の欲求や要望を十分に満たしていたとしても

もっと質の高いものを提供している人がいることを知ってしまうと

自分の提供しているものの価値に自信をもてなくなってしまう

あの人だったらもっと良いものを提供できるし・・・

あの人と比べたら大したものを提供できていないのが申し訳ない・・・

そういった感覚を嫌でももってしまうんですよね

そうやっていつの間にがぼくたちは

自分たちの価値基準ではなく

社会の価値基準のなかで

生活するようになってきているかと思います

コミュニティのなかでの価値基準

もちろん社会の価値基準のなかでの生活が

必ずしも悪いというわけではありません

ぼくが従事している医療業界などがそうですね

医療は

広く国民の方々の健康をサポートして

より良い生活を送ってもらうためのインフラです

そして

医療におけるミスは

取り返しのつかないことが多いです

ですので

個人の価値基準で「これがいい」というものを提供するのでなく

医学の価値基準で「これがいい」というものを提供することが

求められます

医療のようにインフラ的な側面をもっていたり

取り返しのつかないことだったりする場合は

やはり一定の価値基準を設けておくことが大切かと思います

ですが

そうじゃない分野においては

過度に社会の価値基準に依存するのは

しんどくなるだけなのかもしれません

元々は「◯◯したい」という思いで始めたことも

いつのまにか「◯◯しなければいけない」という

社会の価値基準に引っ張られてしまうからですね

そうなると”自分らしさ”とは程遠いものになってしまいます

それを避けるためにも

小さくてもいいのでコミュニティのなかで

共通の価値基準をもって過ごす時間をつくるのも

大切かもしれません

いわゆる”身内ノリ”ですね

これまで”身内ノリ”は否定的な捉えられ方をされてきたかと思います

ですが

これからの時代には

”身内ノリ”を通じて”自分らしく”過ごしていくということが

とても価値のあることになるのかもしれませんね

それは以前のコラムでも書いた”ちょうど良さ”になるのかも

今、ぼくが運営しているオンラインコミュニティKIZUKIのなかでは

その”身内ノリ”をうまくつくっていけるように

あーだこーだやってます

ぜひみなさんも”身内ノリ”を楽しめる居場所を探してみてくださいね!

現場からは以上でーす

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