ぼくが提供していたのは医療ではなかった

こんにちは、だいじろうです。医療に従事していたときにぼくが提供していたのは医療ではなかったと気づいたきっかけについて書いていきます。
だいじろう 2021.03.17
誰でも

理学療法士として提供していたのは”居場所”だった

ぼくは理学療法士として整形外科クリニックで十数年勤務しました。

理学療法士とは医師の指示の下で理学療法を提供することを生業としています。

理学療法とは、身体に障害のある者に対し、主として基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう
理学療法士及び作業療法士法/第2条

一般的には病院やクリニックでの”リハビリの人”という認識をされているかと思います。

実際にぼくも整形外科クリニックでは”リハビリの人”として怪我や病気をもつ患者さんの自宅復帰や職場復帰、あとはスポーツ選手の競技復帰のサポートなどをしていました。

ぼく自身、”理学療法やリハビリテーションを提供している”という風に考えて働いていたのですが、ある時、それは目的ではなくただの手段なのでは?と考えるようになりました。

それまでは、ぼくは理学療法やリハビリテーションを提供していることで、患者さんの痛みが和らいだり、動きやすなったりして、生活や仕事、競技のなかでできることが増えていくことで満足してもらえるものだと思っていました。

ですが、あまり改善していなくても満足されている方もいたりして、それって何でなんだろうと考えてみました。

そこでいろいろと患者さんたちの院内での行動や院外での話を見たり聞いたりしてみると、満足されている患者さんたちには”つながり”があって、満足されていない患者さんたちには”つながり”が足りていないんじゃないかと思うようになりました。

ぼくが勤務していた整形外科クリニックは一般的な整形外科クリニックと比べると患者さん同士のつながりが生まれるような仕組みをとっていました。

多くの整形外科では待ち時間対策として予約制がとられていて、同じ時間にリハビリ室で過ごす患者さんの数はそれほど多くないかと思います。

ですが、ぼくが勤務していたところではその待ち時間対策として集団運動を実施したり、患者さんが自主的に運動できるスペースをつくったりして、同じ時間にリハビリ室で過ごす患者さんの数をできる限り多くするようにしていました。

予約制になると基本的には”スタッフと患者さんとのつながり”しか生まれませんが、患者さんが多くいる環境を整えることで、”スタッフと患者さんとのつながり”だけでなく”患者さんと患者さんとのつながり”も生み出すことができていました。

そのなかで高齢の方同士のつながりだけでなく、”高齢の方と学生さんとのつながり”が生まれたりするのはとても良い影響が出ていたように感じています。

同じ時間を共有するだけでなく、リハビリメニューなども同じようなメニューにすることで、高齢の方と学生さんとの間に共通の話題をつくるようにも工夫していました。

そうすることで、高齢の方は若い学生さんと同じようなメニューをやっているということに刺激をもらい、学生さんは高齢の方から「頑張ってね」と応援されたりもしていました。

こういったつながりって本来は地域のなかにあったかと思いますが、今はあまり見られなくなりましたよね。

もちろんぼくは医療従事者ですので、患者さんの痛みや不調を緩和し、日常での生活や仕事、スポーツで困らないようにすることが重要な役割です。

ですが、それ以上に「人とつながることができる居場所」を提供することの方が患者さんたちの心の充足につながっていたのではないかと考えています。

「病は気から」という言葉があるように、心の充足によって痛みや不調が緩和されていくケースもあったかと思います。

そういった経験から、ぼくは医療は「痛みや不調を抱える方々が集うコミュニティ」であるべきなのではないかと考えるようになりました。

そして「人とつながることができる居場所」をつくっていくことがこれからの時代でとても大切になっていくのではないでしょうか?

現場からは以上でーす

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